お客さんはカラスたちな自動販売機。

カラス用の自動販売機
Photo: カラス用の自動販売機 - A Vending Machine for Crows

優れた知性同士なら、衝突や競争のような前時代的でプリミティブな関わり方を捨て、種族を超えて協調することもできるのかもしれません。

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近年の社会は、安価な化石燃料や科学力が生み出した、一見無尽蔵のエネルギー供給を背景に、“合理的”機能化への道を歩んできました。
文化、情報、人の、規格化、専門分化、一極集中化が加速され、いまや世界の名だたる大都市は、同じようなライフラインや建物、同じような食べ物や交通システム、同じようなエンターテインメントや教育システム、そして同じような人々で構成されています。まるでそれがあたりまえであるかのように。

一箇所にあらゆる機能を集約して合理性を追求するこのモデルは、膨大な量の物資やエネルギーを都市中央に運び込み、消費することで成り立ちます。そしてそれは同時に膨大な廃棄物を処理することが要求されるシステムといえます。

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こうした「輝ける都市」の構想を採用し、戦後の焼け野原から急成長を遂げたアジアのある都市のことです。
金融自由化の進んだ1980年代末、実態を伴う成長は終焉したにもかかわらず、その都市は虚な膨張を続けていました。

そこでは取引すればするほどお金が増えるという不思議な現象が起きました。必要なくても買う、必要はなさそうだけど資金調達力のある奴等にさらに高く売りつけるという連鎖で、都市中心部の土地にピカソの絵なみの値がついたこともあります。

もはや身の丈であることやほどほどを美徳とする伝統的価値には何の意味も見出せません。人々は欲望のまま消費することの開放感に浸りきっていました。元手とコネさえあれば何をやっても儲かるため「金余り」という言葉が生み出されたほどです。
もちろん実際には、帳簿上の資金が連鎖的に増えていくだけの暴走椅子取りゲームで未来を食いつぶしていただけなのですが、立ち止まって考えてみるような人はごく少数派でした。

ライフスタイルの変化により、今までとは桁違いの廃棄物が出るようになりました。家電や車はまだ使えるものでも次々買い替えられ、廃棄されました。建物も「古臭い」というだけで建て替えられ、廃材は放棄されました。
そして世界各国の贅沢な食材を豊富に含んだ「生ごみ」も大量に捨てらるようになったのです。

この「生ごみ」、人間にとってはまさにゴミにすぎませんが、文明に寄り添って生きることを選択した野生動物たちにとってはすばらしいご馳走です。毎朝決まった時間に道端に捨てられる「生ごみ」に目をつけないわけはありません。
とくにひときわ高い知能をもつカラスにとっては、タイミングを把握するだけで安全に食事にありつける、「バブル」の到来でした。毎日定時に街中に高カロリーな餌がばらまかれるのですから、生息数も急速に増加しました。

大幅に増えたカラスは、相応の糞や騒音を撒き散らしました。
そして都市の好景気が終焉し、以前ほど住みやすくなくなってしまってもその数は急には減らず、個体の生存のため、縄張りを守るための威嚇行為などが目立つようになってしまったのです。。

そしてそれは、享楽を貪る「輝ける都市」の住人にとっては、決して許せるようなことではありませんでした。ここでは、異質なものや、住人の短絡的な欲望と関係ないものの存在は許されないからです。

そんなとき、この都市の知事となった、ある小狡い男は考えました。
「しめしめ、嫌われ者のカラスをうまく使えば、役人への支配力を強められるし、ついでに人気も得られるぞ」

権力者が指導力を強める簡単な方法のひとつに、仮想の敵を設定して、そのバカげた“正義”に追随か否かの立場を明確にするようせまる方法、“踏み絵”があります。
カラスとの対決という寸劇はこの踏み絵にぴったりのうえ、嫌われ者を排除した自分を、勇者としてまつりあげることもできてしまう絶好のチャンスになると考えのです。

そこでこの男はカラスに対し宣戦布告し、“果敢”にも一方的な戦争を開始したのです。

ところがこの戦争は最初、男の思惑と違ってカラスが優勢でした。男は囮のカラスを入れたカラス捕獲用のワナを街中にしかけたのですが、賢いカラスは、囮のカラスに引き寄せられていったんは罠にかかるものの、二羽で協力しあって、まんまと脱出してしまうのです。
結果第一ラウンドは、むしろカラスが増えてしまう結果となりました。

ただカラスは卵で生まれますから、カラスに馬鹿にされたとヒステリーをおこした男に怒鳴られた専門家達が巣を排除する作戦に切り替えると、徐々にその数を減らし始めました。
しかしカラスが減って、他に影響が出ないわけがありません。カラスが減るにしたがい、カラスの大好物の卵を生む鳩が大幅に増えてしまったのです。

残念ながら、コントロールされ、コントロールすることしか考えないこの都市の住人たちは、やはりこれも許すことができませんでした。
彼らは、自分たちの行いの矛盾を省みることもせず、愚かにも今度は鳩の撲滅に乗り出したのです。
お寺や公園には「鳩に餌やり禁止」の札があふれ、休日にピクニックしながら鳩に餌をやるなどというのどかな光景は過去のものとなってしまいました。

そんな街の住み心地が良いわけ無いのですが、自分の不幸の根源は甘い汁を貪る役人に違いないと考える住人の多くは、少なくとも目に見える幼稚なショーを、強いリーダーシップと勘違いして、ろくに考えることもなくまたその男を知事に選んでしまいました。

こうして、無知と支配とアンバランスの“愚かなループ”は、またしばらく続くことになったのです。

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ジョシュア・クライン氏は、「動くものならなんでもハックする」という凄腕のハッカーにして作家です。
なんと彼は、10年の歳月をかけて、カラス用の自動販売機を開発してしまいました。カラスたちは小銭を持ってこの自動販売機に通い、ピーナッツを買っていくのです。

ジョシュア・クライン: カラスの知性 | Video on TED.com

スキナー理論

面白いのはカラスを“ハック”する方法が、意図的にカラスに“ハック”させるというところ。
はたして教育も受けずなんの予備知識もない人が、同じ課題を与えられたとしたら、カラスなみに賢くこの自動販売機の使い方を探りだすことができるのでしょうか?

カラス用の自動販売機
カラス用の自動販売機
カラス用の自動販売機
カラス用の自動販売機

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かつて世界の“先住民”たちは、カラスを神聖な生き物ととらえていました。自然と共生するためには、あらゆる感覚をつかって自然を観察し、注意深くバランスをとる必要があります。我欲のままに生きれば手ひどいしっぺ返しを喰らうのは自明でした。彼らは、カラスの不思議な知恵や、その存在意義を充分承知していたのでしょう。
こうした観察とバランス感覚はやがて、科学技術を生み出しましたが、残念ながら自然を単なる商品価値としてしか見ない現代社会では、科学技術は人間の欲望だけをストレートに達成するためのツールに成り下がってしまいました。

でもこの研究からは、科学本来の性質が少し見えてくるような気がします。

人という動物は、目先の利益のために他の生き物や自然を都合にあわせて選別して支配することができるほど賢い動物なのでしょうか? それどころか過去から学ぶことすらできない、ただの群衆になってしまってはいないでしょうか?

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個人的には、鳩に餌をやることが犯罪視されるような町には住みたくありません。

Over the long term, symbiosis is more useful than parasitism. More fun, too. Ask any mitochondria.
長期的には、寄生するよりも共生するほうが有益なんだ。もっと楽しいし。ミトコンドリアに聞いてみるといい。

2011/06/23 by Tate Slow
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