五音音階のパワー。
メロディーはプリインストールされているか。

ボビー・マクファーリン「五音音階のパワー」 - ワールド・サイエンス・フェスティバル 2009

霊長類の中でヒトほど多彩に音声を使いこなす動物はいません。声帯や口腔を使った発音の膨大なバリエーションは、複雑な単語や言語を可能にしました。そして声や楽器による音の高低強弱有無をリズムと組み合わせた音楽は、知る限り世界中のあらゆる文化に必ず存在しています。そしてそれらはどちらも、ヒトとヒトのかかわりから生み出されたものです。

かかわりである以上、相手と共通のプロトコルのようなものが必要になります。言語の場合それは単語や文法、慣習で、社会文化によって醸成されるものですが、音楽の場合はなにがそれにあたるのでしょうか? そもそもなぜヒトは音楽にノルことができるのでしょう?

2009年のワールド・サイエンス・フェスティバルで行われた、「旋律と神経 - 共通のコーラスを探して」というトーク・セッションに招かれたヴォーカリストのボビー・マクファーリン氏が、五音音階(ペンタトニック・スケール)を使った即興のメロディーで、方向さえ示せば誰もが当たり前のように次に鳴るはずの音リフレイン曲の終わりを予測できることをデモンストレーションした映像です。


Regardless of where I am, anywhere, every audience gets that.
世界中どこでやっても、聴衆は全員これができるんだ。
とボビー・マクファーリン氏は結んでいます。

もちろんこれは科学的実験ではなく、あくまでもパフォーマンスですから、ここで何かが証明されたわけではありません。第一、彼のコンサートに行くような聴衆なら、世界中どこの人であってもかなり音楽の素養があるほうだとみていいでしょうし、今や世界的なヒット曲を一度も聞かずに育ったような人を見つけるのは困難ですから、世界中で同じ結果が得られたことを、後天的な影響によるパターン慣れの結果ではないと見るのは、あまりにナイーブかもしれません。
実際、開国前後江戸時代末期の人々にとって、西洋音楽のハーモニーは不協和音にしか聞こえなかったという記述も残っているようです。

それでも、この映像は何かを強く伝えてきています。

研究が進んで今後どのような結論になるかはお楽しみですが、何も無いところから音を拾い出し、聴衆の誰もが感情を揺さぶられるリズムとメロディーを即興で紡ぎ出すことのできるすぐれた音楽家は、過去にも現在にも、実在しているのです。


こうした即興の旋律は、単純に音楽の数学的法則や耳の構造、経験知や慣れによって導き出されるものなのでしょうか、それとも私たちが生まれながらに肉体的特徴以外のなにかを共有しているからこそ、破綻なく美しく聞こえるのでしょうか?




Without music, life would be a mistake.
音楽がなければ、人生は誤謬となろう

~フリードリヒ・ニーチェ

2011/07/01 by Tate Slow
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